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初詣

いつから始まったの?初詣の歴史を紐解いてみよう

新年を迎えると神社仏閣に初詣に行くという方も多いでしょう。

 

家族で行ったり恋人同士で行ったり、あるいは友人同士で、仲間内で、さまざまな間柄で新年のあいさつをするものです。最近は会社が始まったらまとめていくということもあちらこちらで見られますね。

 

しかし初詣の歴史はいつから始まったのでしょうか。実は歴史を紐解くと面白いトリビアがあるんです。


年籠りから始まった

初詣の歴史は元々年籠りといい、家長が大みそかの12月31日から元日1月1日の朝にかけ、氏神の社にこもる行事でした。

 

これがやがて12月31日の除夜詣でになり、元日は朝に詣でる元日詣でに分けられたのです。

 

江戸時代末期までは氏神への参詣、住んでいる場所から恵方にあたる寺社に参詣する恵方参りが行われていました。

 

初詣などに年籠りのような決まった形式はなく、寺社に元日詣でをするだけ、つまり現在の初詣になったのは明治時代中期とされています。

現在の形になるまで

初詣は最近では季語になるほど有名になった言葉ですが、大正時代以降は俳句にも使われるようになりました。

 

地方によっては除夜に氏神に参拝後、元日にまた参拝する二年参りの風習を採っているところもあります。

 

近年、パワースポットなどの登場により、氏神や恵方ではなく有名な寺社仏閣に初詣する人も増えています。

鉄道の発展とともに参拝方法も発展

さらに歴史を見てみると明治時代中期になると鉄道の発展により正月末にかけて行う初縁日も登場し始めました。

 

関東地方ではめいじ5年に東海道線が開通すると川崎大師へ行きやすくなり、多くの方が郊外の有名な寺社仏閣へ行くようになりました。

 

さらに郊外に鉄道を使って出かけることは行楽にもなり、恵方参りや縁日とは関係なく川崎大師を詣でる人が増えたのです。

 

初詣の歴史を紐解くと、このように江戸時代の風習から明治時代までの風習は大きな変化を遂げたと言えます。

 

ほかにも成田山新勝寺をはじめ、京成電鉄や京浜急行電鉄などが開業したことで、地方の人が浅草寺など東京中心部に詣でるというのも始まりました。

 

大正時代になると多くの人が校外へあるいは中心地へ詣でるようになり、正月の詣でだけではなく節分や七五三など様々な形で歴史は発展していったのです。


恵方詣とは

歴史を見てみると前身である恵方詣とはその年の恵方となる神社へ参拝し、1年の幸福を元日に祈願するものです。

 

毎年恵方は変わり、決め方は十干に定められていますが、毎年同じ神社に参拝することもできます。この場合、目標となる神社に直接行くのではなく、神社が恵方となる場所まで言って参拝します。

 

関西地方では現在も恵方巻の風習が残っていますが、これは歴史上初詣より節分が盛んだったためです。恵方詣が関西地方に入ったのは鉄道の発達で競争が激化したためです。

 

ただ歴史的本質を見ると鉄道会社が沿線にある寺社仏閣を恵方と宣伝し競争し合ったため恵方の意味が埋没し、恵方詣もすたれていきました。

 

時代で見ると大正時代末期には関西地方のみならず全国各地で恵方詣は衰退していました。

氏神とは

氏神は同じ地域や集落に住む人々共通の神道の神様をさし、その神様を進行する人を氏子と呼びます。歴史上は古代、その氏人だけで祭った神様で、中臣氏の天児屋命、忌部氏の天太玉命が知られています。

 

氏子を現在の呼び方にするようになったのは中世以降で、氏神と鎮守や産土神との区別もなくなってきました。

 

鎮守とはその土地に鎮まることで土地や住む人を守る神様のことで、産土神は生まれた土地の神様で一生守ってくれるというものです。


風習はほぼ同じ

このように初詣は紆余曲折をたどっていますが、詣で方やルールも現在はほぼ統一されています。

 

まず寺社の参拝を行いそれからお守りや破魔矢、風車や熊手などを購入、絵馬に様々な願い事、目標を書いたり神籤を引いたりします。

 

また昨年までのお守りなどは寺社に収めどんと焼きにし、寺社によりお神酒や甘酒をふるまうこともあります。

 

よく初詣は神社と寺院どちらに行けばいいのか分からないという方がいますが神社や寺院は問わず、神道も仏教も区別されていません。

 

またいつまで行かなければならないという明確な決まりもなく、受験勉強や仕事で正月三が日が忙しいという場合は1月に入ってから時間ができた日に行くと言う人も多いです。

 

中には1月中に参拝すれば構わないと言う人もいますし、受験生の多くは元日ではなくセンター試験の前日など受験前日に初詣に行くという人も多いです。

 

家族で行けないという場合は職場で集まったときに、職場の人同士で行ったり、正式なお祓いをしてもらうというところもあります。

 

会社単位で詣でるというところも地方の中小企業にはよく見られ、社殿内で神主によるお祓いをしてもらう場合もあります。また厄年の人は新年にあわせてお祓いをしてもらうということもあります。

喪中はどうすればいいの?

身内がなくなったということで今年は喪中と言う家庭もあるでしょう。ただここで覚えておきたいのが喪中と忌中です。

 

喪中はその名のとおり故人の喪に服する時期のことです。忌中とはいろいろな行事を避ける期間のことです。

 

特に忌中は49日間はなにも行わず、昔は学校も会社も休みとなっていました。ただ最近は日常への支障を考えてそれほど厳しい決まりはありません。

 

ですから忌中の場合は新年のあいさつ回りなどは避け、故人の亡くなった日から50日目以降に神社などに伺うようにしましょう。

 

喪中の新年参りは個人の判断にゆだねられます。特に新年のあいさつをしてはならない、と言う決まりはありませんので神社仏閣に行っても構いません。

 

ですから友人に誘われたということであれば一緒に行ってお参りしてもいいのです。

 

忌中は亡くなった日を1日目としますので、11月14日以降になくなられた場合は元日が忌中になります。

 

約1カ月半は期中になりますのでお寺などに確認するといいですね。もし気になるようでしたら喪中も新年参りは控えるか、挨拶をするとしても軽く終わる程度にしておくといいでしょう。

 

このように、由緒ある新年参りですが、歴史を読み解くと面白い部分も多いです。

 

来年の元日詣でを計画している方は歴史を勉強したり子供の冬休みの自由研究にしてみても面白いのではないでしょうか。


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