新年の縁起物を食べる前に!意外と知らない歴史をご紹介♪
新年、家族で集まって食べる縁起物といえば《お雑煮》ですね。この日本人にとって欠かせない風習である《お雑煮》の歴史をご存じでしょうか?
ここでは知っておくとより縁起物としての有り難味がアップする歴史について詳しくご紹介します。
意外と知らない!《お雑煮》の歴史とは?
お雑煮は一年の無事を祈願してお正月に食べる伝統的な日本料理です。沖縄を除く全国各地でご当地ならではの食材が使用されて食べられています。
このお雑煮の歴史は古く、平安時代から食べられていました。お雑煮の歴史は「米」からスタートします。農耕民族である日本人にとって米で作ったお餅は祝い事や特別なハレの日に食べる縁起物でした。
お雑煮は歳神様に供えたお餅や里芋、大根や人参をその年の初めに井戸や川から汲んだ「若水」と新年最初に起こした火で煮て食べたのが始まりです。
室町時代には武家の宴会で一番初めに酒の肴として出される料理でしたが、お餅の原料となる米は高価であり一般庶民は餅の代わりに里芋を使用していました。
江戸時代になると庶民でもお餅が手に入りやすくなり、現代と同じように野菜や地方の特産物を使い食べられていました。
平安時代からお雑煮文化が現代まで続いているのは日本人にとって米や餅が欠かせない食材であることと神様に縁起を担ぐ風習が根付いているからですね。
食べ方や餅の形にも縁起を担ぐ!?
平安時代から続く歴史あるお雑煮文化ですが、ただ食べるのではなく食べ方やお餅の形にも縁起を担ぎます。
お正月の三が日は1個ずつお餅の数を増やすと縁起が良く、「食い上げる」という意味が込められています。
神様に供えた餅や野菜のお下がりを食べていた歴史から、現在では両方の先が細くなった「祝い箸」を使います。これは一方を人が使い、もう一方を神様が使う「神人共食」を表しており、縁起を担ぐための風習です。
一般的に西日本では丸餅、東日本では角餅が使用されます。西日本では関西文化の影響が大きく、「円満に過ごせるように」との願いを込めて丸餅が使用されています。
一方武家文化の影響が大きい東日本では、「敵をのす」と縁起を担ぎ、のし餅を四角く切った角餅が好まれたました。
また江戸時代の急激な人口増加により、一度に大量生産できるのし餅が広がった歴史から東日本では角餅が主流となりました。
いかがですか?歴史を紐解けば知らなかった《お雑煮》の由来が見えてきますね。こうした歴史をしっておけば新年に家族で集まった際に豆知識として披露できますよ♪
ぜひご紹介した内容を活用してみて下さいね。